スマホ版 挿絵一覧
全十二話・148場面の縦画像です。元の場面に合わせて縦構図へ描き直しました。画像を選ぶと大きく開きます。この一覧には物語の結末までの挿絵が含まれます。
第1話 青いだるま、三人の約束

語り:横須賀の坂を上りきると、古い博物館に、まだ灯りがついていた。
灯真:もう閉まるぞ。五分だけだからな。

語り:古い木の匂いに、乾いた絵の具の匂いが混じっている。
澪:静か。……こういう場所、好きなんだ。

語り:赤いだるまの隣に、一つだけ青い顔。奥の作業台には、小さな椅子が寄せてある。
灯真:あの椅子、子ども用か。

澪:青いのだけ、少し顔が違う。
灯真:笑ってるんじゃないの。

灯真:それ、買ってくる。
澪:え、いいよ。自分で……。

語り:澪は小さな青を、鞄につける前に、胸に寄せた。
澪:ありがとう。次は千鶴も誘おうね。

千鶴:そのストラップ、どうしたの。
澪:昨日、博物館で。灯真が買ってくれたんだ。

灯真:次は三人で行こうって、今、話してた。
千鶴:次、ね。……うん、楽しみ。

千鶴:うちにも、似たのがあるよ。赤い方だけど。
澪:この本の……火車だるま?

澪:願いを一つ。唄を口ずさんで、片方の目に墨を……。
灯真:続き。間違えたら、迎えが来るって書いてある。

千鶴:迎えの船の名前。紅炎丸。
澪:海の向こうで、会いたい人に会える……。

灯真:試すのは、なしだからな。
千鶴:……願いがかなう方まで、本当だったら?
第2話 戸の向こうの潮騒

語り:放課後。廊下を行く最後の足音が、階段の方へ消えた。
千鶴:ちょっとだけ、付き合って。

澪:何をお願いするの。
千鶴:秘密。言ったら、かなわなくなるかも。

千鶴:……三人で、ずっと……。
語り:最後の言葉を唄に隠して、千鶴は片目に墨を落とした。
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澪:待って。鞄が……震えてる。
灯真:その青いの、お前、触ったか。

灯真:窓、見ろ。
澪:夕焼け……?

千鶴:……先生?
語り:返事はない。乾いていた廊下に、濡れた丸い跡が、一つずつ増えていた。

澪:……波の音?
灯真:ここ、三階だぞ。

火車だるま:おっさ……おっさ……願いを乗せろ……。
千鶴:閉めて。……早く、閉めて。

火車だるま:一緒がよい、と。……願ったな。
千鶴:なんで……それを。

千鶴:違う! そういう意味じゃ……離して!
灯真:千鶴! 手、こっちだ!

語り:澪は、灯りのともった青いだるまを握った。
澪:お願い……二人を、離さないで!

語り:青が、赤い腕をほどいた。濡れた音だけが、足もとへ落ちる。
火車だるま:……まだ。まだ、願っておる。

灯真:……三人、いるな。
千鶴:ごめ……私……。

語り:廊下の跡は消えていた。鞄の青だけが、消えなかった。
澪:……まだ、潮の匂いがする。
第3話 館長が呼んだ名

灯真:館長に聞こう。俺たちだけじゃ、分からない。
澪:うん。……一緒に、聞こう。

語り:博物館の灯りが見えた。さっきまで、あの教室にも灯りはあった。
千鶴:……先に行かないで。

千鶴:私が、勝手にやったから……。
灯真:俺も、止めきれなかった。

澪:ここにも、青いのがある。こんなに……。
語り:棚の顔は、どれも少しずつ違っていた。

弦蔵:……何が、あった。
澪:赤いだるまが、教室に。私たちを連れていこうとして……。

語り:奥へ案内する手は、爪の間まで青かった。
灯真:その色、落ちないんですか。

澪:これ、蒼守だるまって……何なんですか。
弦蔵:……間に合ったか。

弦蔵:わしが作ったものじゃ。同じものを、何度も。
千鶴:何のために……。

語り:弦蔵の指が、青いだるまの底をなぞった。角は、丸く削られていた。
弦蔵:小さい手でも、痛くならんようにな。

灯真:助け方は……まだ、分からないんですか。
弦蔵:知っとれば、三十年も……。

語り:三十年前。あの小さな椅子は、作業台の、父のすぐ隣にあった。
小夜:ここ、座っていい?

小夜:お父さん、眉毛、変になっちゃった。
弦蔵:同じ顔でなくてええ。その子だけの顔じゃ。

語り:母が亡くなってから、小夜は、唄を口ずさまなくなった。
小夜:お母さんに、もう一度だけ……会えないかな。

小夜:明日になったら、お母さんに、会える?
弦蔵:小夜、待ちなさい。……その筆を。

小夜:私、帰ってこられるよね? ……お父さん?
弦蔵:小夜!
第4話 歌の途切れるところ

弦蔵:あの日も、明日聞こうと、言った。
澪:……それから。

語り:箱の金具には、塩のような白いものが固まっていた。
弦蔵:集めた記録じゃ。食い違うことばかりでな。

千鶴:紙、濡れてる。……これ、霧?
澪:待って。いったん、蓋を……。

灯真:補陀落……海の向こうの、浄土へ行く船?
弦蔵:それは、実際の信仰の記録じゃ。紅炎丸の書付とは、別じゃよ。

澪:この海岸線、今の地図と形が違う。
灯真:古い地図だからか? こっちと重ねてみよう。

千鶴:唄にも、続きがある。ここ、読めますか。
弦蔵:戻れ、戻れ……迷いし願い……。

灯真:……どうして、そこでやめるんですか。
弦蔵:小夜もな。この節になると、笛を下ろした。

語り:地図の海が、紙の上で揺れた。そこに、小さな人影が立っていた。
澪:……小夜ちゃん?

小夜:そこに、誰かいるの?
澪:待って。小夜ちゃん、聞こえる?

紅炎丸:会いたい者へ……連れて行こう。
灯真:今の声……紙の中から、聞こえた。

小夜:お母さんも……乗ってるの?
紅炎丸:乗れば、会える。……皆、会える。

千鶴:この村の書付にも、船の唄と、同じ言葉……。
弦蔵:千軒村の異聞じゃ。別の話として、残されとる。
第5話 消えない赤い霧

語り:弦蔵は青いだるまを置いた。指の節に、乾いた青が残っていた。
澪:教室では、この子が追い払ってくれたんです。

灯真:だったら、これを船に向けたら……。
弦蔵:わしも、そう思った。何度もな。

語り:窓の外の灯りが、一つずつ赤に変わった。
千鶴:……さっきの霧。ここまで来たの?

灯真:窓、閉まってますよね。
弦蔵:ああ。

語り:霧の奥に、記録の船首が浮かんでいた。窓よりも、ずっと近い。
千鶴:向こうからも……こっちが見えてる。

澪:小夜ちゃん! 聞こえる? そこから出て!
小夜:……消さないで。

澪:お願い。あの子を、こっちへ!
語り:青が広がった。霧が裂け、その隙間を、また赤が埋めた。

弦蔵:地図を持っておくれ。古い浜道まで、赤い印が続いておる。
灯真:館長さんも、来てくれますよね。

弦蔵:わしは裏の浜道を通る。まだ坂を上がってくる人がおるかもしれん。
灯真:浜の石段で、待ちます。

語り:扉を出た途端、濡れた風が三人の頬を打った。
千鶴:ここ、さっきまで……乾いてたよね。

澪:あの噂と同じ。赤い轍が、海まで……。
語り:転がる音が坂を下りていく。三人の足音より、一つ多かった。

灯真:立ち止まるな。石段まで行こう。
澪:灯真……手、震えてる。

千鶴:ごめん。二人とも、私が……。
灯真:今は息して。話は、あとで聞く。

語り:坂の先で、海が赤く光っていた。石段に、待っている人影はなかった。
澪:……波が、こっちへ上がってくる。
第6話 迎えに来た船

語り:引いたはずの波が、沖へ戻らない。遠い水平線が、ゆっくり持ち上がった。
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火車だるま:ころり……ころり……待たせた、待たせた。
千鶴:……私たちを?

語り:水を裂く音より先に、船底の木が鳴った。海の下で、戸が開く音がした。
澪:教室の戸と……同じ音。

紅炎丸:席は、空けてある。
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灯真:見上げるな。足元を見て、石段へ……。
語り:灯真は振り返った。戻るはずの道にも、赤い顔が並んでいた。

火車だるま:三つ、三つ。ひとりにせぬ。
千鶴:……言わないで。

火車だるま:手をつなげ。つないだままで、船へ、船へ。
澪:一緒にいたいって……そういうことじゃない。

灯真:こっちに来るな!
語り:声を張っても、赤い輪は止まらなかった。

千鶴:砂の中から……! 足が、抜けない!
灯真:俺の腕につかまれ。澪、光を!

澪:蒼守だるま……今だけ。ここだけでいい!
語り:青い光が、千鶴の足元をなぞった。

灯真:抜けた! 千鶴、走れるか!
千鶴:うん……うん、行ける!

語り:開いた隙間の向こうでも、同じ赤い目が起き上がった。
澪:また……。どこへ行けばいいの。

灯真:……止められると思ってた。俺が前にいれば。
千鶴:灯真。こっち見て。まだ、三人いる。
第7話 小夜の横笛

語り:輪の向こうで、風が止んだ。船首に立つ少女の髪だけが、揺れていた。
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澪:小夜ちゃん……?
小夜:……知ってるの。私を。

小夜:この音について来れば、迷わないよ。
語り:小夜は笛を持ち上げた。息を吸う音だけが、ひどく近かった。

火車だるま:おっさ……おっさ……足をそろえろ。
千鶴:私、歩いてない……のに。

小夜:海の向こうなら、会えるんだって。お母さんにも。
澪:……会えたの?

小夜:おいで。一人で待つの、寒いでしょう。
語り:誰も答えなかった。海の向こうから、笛の続きを吹く音がした。

小夜:……その青、しまって。
澪:どうして?

語り:気づくと、小夜は波打ち際に立っていた。足元の水は、揺れなかった。
澪:何を、思い出したくないの。

澪:お父さんが、小夜ちゃんを……。
小夜:やめて。知らない人の話を、しないで。

灯真:その子が嫌だって言ってる。澪、いったん……。
小夜:あなたも、帰るの? 私だけ、ここに置いて。

小夜:もう、ずいぶん待ったの。帰っても、誰も……。
語り:小夜は言い切らなかった。笛を握る指だけが、白くなった。

小夜:聞こえなくすれば、平気。……笛を吹けば。
澪:小夜ちゃん、待って!
第8話 その願いに触れないで

語り:笛が高く鳴った。火車の輪が、一歩ぶん狭まった。
灯真:澪、千鶴。左右を見ててくれ。俺、一人じゃ追えない。

澪:小夜ちゃん、本当は船に乗りたくないんだよね。
小夜:……どうして、あなたが決めるの。

千鶴:あの輪……同じ場所を回ってる。一歩も、海へ行ってない。
灯真:俺たちも、小夜も……ここから出さないのか。

澪:蒼守だるま。あの子の気持ちが、分かるなら……。
語り:澪は、小夜の返事を待たずに青を掲げた。

澪:……あったかい。さっきまで、こんな……。
語り:手のひらに、別の夜の温度が戻ってきた。

語り:筆を洗う水音。作業台の下の、小さな椅子。
小夜:お父さん。まだ、起きてる?

澪:お母さんに会いたかった。でも、そのあと……。
小夜:見ないで!

灯真:澪、俺の声、聞こえるか。
澪:……うん。

小夜:私の願いを、勝手に読まないで。
澪:……ごめん。

灯真:俺も、分かったふりしてた。前に立ってれば、何とかなるって。
灯真:怖いんだ。何も分からなくて。……だから、聞かせてほしい。

小夜:お母さんに、会いたい。……それは、嘘じゃない。
澪:うん。
第9話 届いた声、届かない手

小夜:分からない……。会いたいって、思っただけなのに。
澪:うん。……ここで、聞いてる。

語り:波打ち際で、老人が足を止めた。息を継ぎ、もう一度、娘の名を呼ぶ。
弦蔵:……小夜。

小夜:その声……。
語り:笛を持つ指が、止まった。

語り:父の声だけは、昔のままだった。青い光に、いまの父の姿が揺れる。
小夜:……お父さん?

語り:青に揺れる父娘の像へ、作業台での昔の会話が重なった。
小夜:お父さん、眉毛、変になっちゃった。

小夜:私、お母さんに会いに行ったのに……。ずっと、ここにいるの。
弦蔵:そうか……。ひとりで、ここにおったのか。

弦蔵:あの夜、お前の話を最後まで聞かんかった。わしも、母さんの話をするのが、つらかった。
小夜:お父さんも……?

語り:小夜が一歩近づくと、足元の赤い輪も動いた。
小夜:……ここから、出られない。

語り:伸ばした指の間に、冷たい潮が走った。触れそうな手は、まだ届かなかった。
弦蔵:ここにおる。小夜が話せるまで、ここにおる。
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第10話 船の取引

語り:船板が、一斉にきしんだ。波が引いても、船だけは近づいてくる。
紅炎丸:まだ、満ちぬ。

火車だるま:願いはひとつ。三人、いっしょ。
千鶴:……どうして、それを。

語り:船底から、千鶴が墨を落とした時と同じ音がした。
紅炎丸:置いて、いかせぬ。

紅炎丸:小夜を返すなら、代わりの願いを積め。
弦蔵:……わしが乗る。小夜だけは、帰してくれ。

語り:弦蔵が前へ出る。船の口が、音もなく開いた。
紅炎丸:その願い、受け取ろう。

小夜:私が帰ったら、お父さんがいなくなるの?
弦蔵:じゃが、このままでは……。

火車だるま:船へ、船へ。いっしょなら、さびしくない。
千鶴:……違う。

千鶴:あの時、願ったの。澪と灯真と、ずっと一緒にいられますようにって。
千鶴:二人だけで話してると、私だけ、いらなくなる気がして……。

小夜:お母さんに会うために、お父さんから離れたの。今度は、お父さんに、同じことをさせるの?
小夜:……それは、いや。

千鶴:私は、一緒にいたい。でも、二人をこの船に乗せたいんじゃない。
語り:千鶴を向いていた赤い顔が、わずかに揺れた。澪の手に、青が戻る。

灯真:千鶴、こっちを手伝って。俺ひとりじゃ、止められない。
千鶴:……うん。今、行く。

千鶴:小夜ちゃん。あの歌、いつも途中で止まってた。……続きを、歌いたい?
小夜:……最後まで、覚えてる。
第11話 小夜の声で

小夜:私……歌ったら、また、誰かを連れていくかもしれない。
語り:笛を持つ手が下がった。

弦蔵:歌わんでもええ。帰れとも、言わん。
弦蔵:小夜は、どうしたい。

小夜:お母さんに、会いたい。今だって、会いたいよ。
弦蔵:うん。

小夜:でも……お父さんとも、また、ごはん食べたい。
小夜:あの机で、明日の話がしたい。……私、帰りたい。

澪:聞こえた。……小夜ちゃんの声で、ちゃんと。
語り:澪は青い守りを押しつけず、掌を開いた。砂の上に、細い光が伸びる。

語り:父は迫る火車を振りほどき、娘の前の道を空けた。
弦蔵:急がんでええ。……ここで、聞いておる。

小夜:戻れ、戻れ。迷いし願い。
語り:小夜は、最後の言葉まで自分の声で歌った。足元の赤い輪に、切れ目ができた。

千鶴:青が……あっちへ。
灯真:澪、見えるか。小夜ちゃんの足元まで、つながってる。

火車だるま:……帰る?
小夜:うん。私は、帰る。あなたたちも、行きたい方へ。

語り:澪が掌を少し傾けると、光は途切れずに伸びた。
澪:一歩ずつでいい。……ここ、踏めるよ。

語り:紅炎丸の舳先が、初めて浜から外れた。船板のきしみに、海の向こうへ引く音が混じった。
紅炎丸:……帰る、道。

小夜:もう、迎えに来なくていい。私、歩ける。
語り:小夜は笛を下ろしたまま、青い細道へ足を出した。
第12話 朝の手のひら

語り:炎の赤が、ひとつずつ青へ変わった。足元を回っていた輪は、もう戻ってこない。
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火車だるま:ころり……ころり……。
語り:丸い影は小夜を追わず、海へ続く光の方へ転がっていった。

小夜:……いってらっしゃい。
語り:見送る声は、笛の音よりも小さかった。

語り:胸に残る青い温もりを、小夜は両手で確かめた。
小夜:お母さん。……私、帰るね。

弦蔵:……小夜。
小夜:触っても……いい?

語り:最後の一歩で、小夜の足が砂を踏んだ。もう、冷たい輪はなかった。
小夜:……お父さん。ただいま。

語り:父は娘の手を取った。小夜は、その手の深いしわを指でたどった。
小夜:お父さん……手、どうしたの。

澪:……あったかい。
語り:掌の青は静かだった。澪は握りしめず、そっと胸に寄せた。

千鶴:ねえ……今日も、一緒に帰っていい?
灯真:うん。

語り:潮が引く。濡れた砂に、五人ぶんの影が長く伸びた。
小夜:お父さん。あの椅子……まだ、ある?

語り:紅炎丸の青い航跡が、水平線へほどけていった。いつからか、波は波の音だけになっていた。
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語り:坂の上の町で、朝の音がひとつずつ戻り始めた。五人は、明るくなる道を歩いて帰った。
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